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「ひとりごと」

101 愛情の反対は無関心 2010.08.20

 101回目の「ひとりごと」は、難産です。文章を書くことが、けして苦手ではない私ですが、今回は構想がなかなかまとまりません。と言うのは、かねてから予告していた、「戦争の原因は心の不安」に対する読者の方からの意見や感想を、ここで取り上げたいと考えているからです。

 
 そもそもの発端は、「平和への雑感」に対して、Mr. Quontinさんがくださった反論メールです。それを読んだとき、正直に言うと少し気持ちが乱れました。「どうしてわからないのかな」という不満めいた気持ちです。

 でもすぐに、気持ちを切り替えました。悪い感情が起こるのは、自分の考え方が間違っているからです。私は無意識に同質のものを好み、異質のものを嫌っていたのでしょう。それで、これをチャンスと考えてみようと思ったのです。異質なものに出合うのは、自分の殻を広げるチャンスです。


 でも、いくら考えてもMr. Quontinさんに対して、詳しく説明する(=説得する)ことしか思いつきません。それで、「だったら他の読者の方の知恵を借りよう」と、読者投稿という形で開示することを思いついたのです。

 案の定、反響がありました。すぐに数人の方が、メールを送ってくださったのです。そこまでは予想通りだったのですが、そこで困ってしまいました。それらの意見をただ載せただけでは、意見の羅列に終わってしまいます。お互いに意見を言い合うだけの議論と同じです。かと言って、私がそれを1つの意見に集約するのは、いくらなんでも強引すぎます。

 正直、「これは困ったことになったぞ」と思いました。予告した以上、何らかの形で表現しなければなりません。でも、どうまとめたら良いのか、その構想が思い浮かびません。そんな状態で、「とりあえず書き始めてみよう」と、今、パソコンに向かっているのです。

 昔の私なら、こんないい加減なことはできなかったでしょうね。完璧主義者で、悲観論者で、小心者ですから。「とりあえず書き始めてみるべ」なんて、なんと無責任でお気楽な。自分で自分を許せなかったでしょう。変われば変わるものです。


 さて、今回の問題の争点ですが、Mr. Quontinさんのご指摘は、「戦争の原因は価値観の相違ではなく、心の不安にある」というものでした。それに対して私は、「価値観の相違にこだわるのが原因で、その理由は心の不安にある」と追加説明し、Mr. Quontinさんの意見にも賛同すると書きました。

 そのあとでいただいた意見を紹介しましょう。CNXさんは、Mr. Quontinさんの意見にこじつけ的なところはあるものの、「不安や恐怖はそのとうり」と言われています。Kさんも、「反論といいつつも同じことをいっているのでは?」と感じておられるようです。

 南国狐さんは、原因は他にあるというご意見です。心の不安から生まれるのは逃避であって、「決して攻撃的な行動になり得ない」とのこと。人が争う原因は、「欲望」にあると。ただ、始める動機が欲望だとしても、「喪失への不安」によって、「争いは継続・拡大する」ともおっしゃいます。

 james0071さんは、「その原因は、戦争を起こした人にしか分からない」とバッサリです。それでは議論になりまへんがな。議論をするのはけっこうしんどいものですから、Mr. Quontinさんは「バイタリティがある人なんだな」と感じられたようです。ただ、酒の席の議論では、隣国に美女がいるのが原因だということになったとか。欲望原因説ですね。

 また、私の言う「相手も正しい、自分も正しいではダメですか?」に賛同だとして、原因に対する意見が異なっていてもかまわないとも。いずれにせよ、「戦争を正当化することに問題がある」というCNXさんの意見は、みなさんの共通認識のようです。


 さて、これをどうまとめるかなのですが、そもそもの私の書いた内容を改めて説明します。たまたま原爆や終戦の記念日があり、戦争のこと、人と人との諍(いさかい)について、書こうとしたのでした。それで考えついたのが、「価値観の相違を認められない」ということだったのです。

 ちょうど、私のブログで紹介した「恵まれない子供たちを支援する団体」から、抗議を受けたということがありました。私の心の動きは、恵まれない子供への支援も、ゴーゴーバーに通うことも、同じようなものと感じています。しかし彼らにとっては、それは同じものではないし、受け入れられないことだったということなのです。

 彼らが、私と同じように考えるべきだとは思いません。どう考えるかは、人それぞれです。でも、私のブログで紹介することで、恵まれない子を支援する人が増えることが、そんなに好ましくないことなのでしょうか。応援したいという人に対して、「あなたの価値観は良くないから、そんな人に応援されたくない。」と言うようなもので、心が狭いなあと感じたのです。


 そういうことで書いた内容だったのですが、今から思えば、私の文章にも随分と作為がありますね。要は「価値観の相違を認められないこと」を指摘したかっただけなのです。それを導くためだったのですが、それが争いの原因のすべてになるかどうか、戦争の原因とまで言えるかどうか、明らかに煮詰め方が足りません。

 それと、かなり説明不足になっていました。価値観の相違があることは、私も当然だと考えています。それは、ブログ「自由に生きる!幸せに生きる!」をご覧くだされば、おわかりいただけると思います。問題になるのは、自分と異なる価値観を許せないという心の動きです。その原因が、心の不安にあると思うのです。

 欲望原因説についても同様です。欲望というのも、一つの価値観です。それが単に好みではなく、必要性として認識されるので、争ってでも手に入れる必要が出てくるのです。そのへんのことも、ブログやメルマガで紹介しています。


 ということで、多くの方が今回の件で関心を持ってくださったことに、心からお礼を申し上げます。それが反対意見であっても、関心を持たれたことには違いありません。愛情の反対は、敵意ではありません。無関心です。賛同でも、不同意でも、関わってくださっていることが、有り難いことだと思うのです。

 なので、これからもどしどし反論をお寄せください。誹謗中傷なんでもござれ。どんなに責められても、私は倒れることはありませんから。私はこう言います。

「ぼくは、死にましぇーん!」

 ちょうど101回目の「ひとりごと」ですから、武田鉄矢さん主演のドラマ「101回目のプロポーズ」のセリフで締めくくってみました。なんて、実はこれが書きたくて、ここまでずっと引っ張ってきただけだったりして。





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